物理学とスピリチュアル<Spiritual> 私の独り言
私の独り言
物理学で言う空間、物質、光は存在であり、相対して表現されている。例えば「月」と言う物質を表現するのに、 最低限同じ質量の空間が必要である。その空間がなければ”それ”「月」もないことになる。物事はそうである。
”見える”はそれ「光」を見ていることである。闇では何も見えない。人は”見える”視覚で信じることが多いが、時 間はどうだろう?「時間があるからお茶でもご一緒に…」「今日は時間がないからこの辺で…」など、あたかも時間が存在しているかのように、生活に取り入れています。
神が創造したものは、空間と物質、光で「時間」は人間が物理的に解釈するために知恵から想像し作り出した架空の解釈である。最初は”数”で応用したものが”時間”で存在しているようで見えませんが、人は皆信じている?利用している?なぜなら便利で解りやすいから。
時計を見ていても、時間は見えません。秒針の物体移動を見ているので、時間そのものを見ているのではありません。”数”や”時間”はあくまでも人間の作り出した解釈で存在ではありません。物理学にとってなくてはならない解釈の”道具”が「数、時間」です。 古代の人も、星や太陽の動きから時間の想像をし創造してきました。
「数、時間」は、意志が想像し作り出した”解釈”の道具ですが、”意志”自身が想像したそのものには当てはめ解釈できないので、物理的な数式にて解釈できるわけがありません。意志=魂を科学的<物理的>に証明すること自体不自然であり、空間、物質、光と同じく不変であるものです。全てを創造した”神”の目線からのみ説明ができるものであると思いますがどうでしょう?人間=意志自身を数式にて表現すること自体不自然で、それ以外の物を人間=意志、目線で当てはめられ表現できる。それが物理である。
物質が移動している以上、時間が発生していると洗脳教育されてきているか ら受け入れ信じてきている。理屈なく疑わずこれらをもって物事を存在していると証明したい?解釈できる?理解と知識の成長?が得られます。時間がなくても物質は移動します。私も人の親です。「算数の勉強をしなさい。」 何度も口にしました。こんな事を書いている自分も、昔の自分を思い出せば変わったなあ…と感じます。魂=精神にかかわるようになったからでしょう。
スピリチュアルや脳科学などの本など一切読んだこともありません。タイ トルは目にしたことはありますが、脱洗脳、脳の科学、スピリチュアリズムなど洗脳については以前自分の意見として”躾”も同じく洗脳で、脱洗脳は他の考え方を教え「躾」考え方を変えさせているに他ならない。洗脳を洗脳として替えているだけである。子供の躾も洗脳である。悪い言葉ですよね…。
良心は精神があり存在していま す。いくら脳学者が吐いても説得力になりません。もっと単純に、”有”か”無”かで相対し成り立っている。物理学で言う空間、物質、光は存在であって”有”であり相対的するものは”無”である。
しかし、意志は物理学的に数式で証明し、当てはめる事ができない。意志がないは空間も物質も光もない、学問もない愛もないである。本は著者の断片的な意思を二次元に写し取った”物”である。意志と精神がなければ本も書けない。何も書いていない白い本に、精神はなく意味がない。意志を証明するには言語を使い確認するか、本に写し取り二次元化し確認するしかない。本を読む側の意思=魂が相対してこそ、その物”本”に意志があると確認できる。その本を開かず読まなければ、紙の固まりでただの”物”である。
”生きている”は、物理的に意志=魂+肉体との同期である。自分が死んだ後も <肉体の、寿命、破棄>月も地球も家族も存在しているが、死んだ自分は肉体との離脱で”存在”は続く。肉体が無くなり意志=魂がその後どこに行くかは、生きていた時の行いによって決まる。意志を物理的に表現できなくなる状態が死ぬことであるがそれは正しい。
意志は脳を道具に体を使い人生を歩む。何度も言うが、脳は魂の道具で魂によって良心がある。 人間は神が創造し意志と精神を持たせた者である”証し”である。意志=魂=精神がこんなにも身近で日常なの に、架空の時間や数は教育と言う洗脳で信じる事が簡単で、意志=精神=魂はなかなか受け入れないのは日 本人だけでしょうか?
精神=意志=魂がオカルトなら、物理学の数と時間もオカルトである。昔の人間が”罪”を悪魔から受けていなかったころ、アダムとイブは言語がなかたと言います。意思の疎通を魂でしていたと言います。今でもそれが出来る人が時々産まれてきます。それを霊能者などと言い、受け入れてもらえることが偏 見もあり、信頼が頂けないこともあります。こんなに意志=魂=精神が数式ではなく、日常で他の方法で確認で きても、数や時間に比べ日常ではなく不甲斐なく感じます。
なぜなら他の人より私自身日常であると感じている からです。これが日常ではなく、信じ受け入れられなければ私の家族は大きな問題になります。あなたの家庭に意志=魂=精神が日常と感じ生活していますか?信仰などはまさにそれに当たります。明るい=光、物=物質、部屋=空間、意志=魂。全て相対し神が創造した不変な性質の違う物?もし将来、コンピューターに沢山の人間の経験と感情表現のパターンを記憶させ、感情の様な”物”が出来ても、神が与え創造した意志=魂ではない”物”に人生はない。
最後まで読んでくれた人に感謝します。50歳のオヤジの独り言にお付き合いいただき感謝!
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